文献によってさかのぼれる人類の歴史はおよそ3000〜4000年ほどだろう。長いとみるか短いとみるかは人それぞれの自由だが、なんとなく大昔に思いを馳せているうちに、ふと、つまらぬことが頭をよぎった。
3000〜4000年という年月は私の感覚では相当に長い。が、その年月で人類は自分が持つ能力全体のどの程度を開発してきたのだろうかということだ。
あまりそんなことを考えることはないだろうが、多くの人は無意識にこんな風に感じているのではないだろうか。

多くの人が感じているであろうことを上図のようにヴィジュアル化してみた。つまりみんな「かなりいい線いってるんじゃないか」と思っているのだろうと私は推測している。
たとえば石器時代の人々は主な道具は石器だけ。車も飛行機もパソコンも携帯電話も持っていない。いや持っていないどころか知りもしない。大雑把に言って現代人の持つ能力のうち2割くらいしか使えていなかっただろう。それに比べて21世紀を生きる自分たちは、あらゆる技術や知識を身につけている。少なくとも人間が持つ潜在能力のかなりな部分、おそらく7割〜9割くらいの能力は発揮できているに違いない。だからけっこうハイレベルな存在なのだ。
ん〜〜、本当にそうなのか。
たしかに石器時代の人たちは、われわれよりもはるかに不便な暮らしに甘んじていた。当時と比べれば衣食住のすべてにおいて、いまの暮らしは格段に便利になっている。その違いが大きなものであることは認めざるを得ない。
だが、それをもってしても、私たちが人類の能力を7割〜9割まで発揮していることを証明してはいない。
人類が現在のような生物としていつまで存続できるのかわからないが、この先数千年、数万年がんばりつづけるとしたら、こんな風に考えることもできる。

つまり「完成形と比べたらまだまだ話になんないよ、このレベルじゃ」というわけだ。
5万年ほど未来の人間に言わせると「まぁ、われわれから見れば21世紀頃の人類はまだ未発達で、人類というよりも猿に近いと言った方がいいなぁ」といったところだろうか。
まぁ自分が「猿レベルの未熟者」というのはちょっと受け入れがたいかもしれないが、落ち着いてよく考えてもらいたい。
自分はかなりハイレベルな人間なんだと偉ぶるよりも、まだまだちっとも進歩していない不完全極まりない未熟者なんだと位置づけた方がはるかに面白いではないか。
自分がすでにハイレベルだとしたら、もう伸びしろがあまりないということになってしまう。逆に未熟者だとしたらまだまだ伸びる余地はたっぷりあることになるのだから……。
さて、どっちが楽しいだろう。
ここのところ特に世界がさまざまな点で混迷を深めていることを考えると、人類全体がまだ話にならないほど未熟であるという考えは、とても魅力的に思えてならないのだ。(2011. 9. 13)
続き有り→人類はまだ猿レベル(その2)

