内容を持たない文章を書かない
2009年1月24日(土)着手
2009年1月26日(月)完了

 年を追うごとに、文章を書くことが難しい作業になってきているような気がします。若い頃ならどんなことでもわりと簡単に書くことができたのに、いまはなかなか筆が(キーボードがと書くべきか)進みません。それならいっそのことやめてしまえばいいのですが、困ったことに書くことが無性におもしろくもなってきているのです。

 あれやこれやとない頭を振り絞り、駄文を書けば書くほど、「書く」という行為の重要さも身に沁みてわかるようになってきました。

 そう、書くことは重要です。それも誰かに本気で伝えようとして、書くことが重要です。なぜなら、私にとってはそれが考えるということだからです。

 私は、人間がより良く生きていくために最も重要なことは、どのようなことでもしっかりと自分の頭を使って「考えること」だと思っています。かなわぬ願いですが、すべての人間がしっかりと正しくものごとを考えれば、世の中のたいていの問題は解決するに違いありません。しかし残念なことに、ものごとを本当にしっかりと考えている人というのは思いのほか少ないのです。

 「でも、私はいつもきちんと自分の頭を使って考えている」

 ここまで読み進んだ人の大半(おそらくほぼ全員)は、心の中でそう思ったのではないでしょうか。まあ確かに何も考えていない人はいません。

 一度だまされたと思って、自分の考えを文章化してみてください。それも、大勢の人に読ませると想定して。

 そうすると、いままで自分が「考えている」と思っていたことが、実にあいまいなものだったということに気がつくはずです。考えを文章化して大勢の人に伝えようとすると、頭の中にあった自分の考えの足りない点が、次々と明確になってきます。

 これでは反論されてしまう。
 これでは伝わらない。

 そう考えている内に、徐々に正しい考えがまとまってくるのがわかるはずです。文章化する前に頭の中にあった結論に、たどりつかないこともしばしばです。それは頭の中にあった結論が、たんなる直感に過ぎず思考を経た結論ではなかったことを示しています。

 もしかすると誰かに読んでもらうことを想定して文章を書くということは、考えるための訓練に過ぎないのかもしれません。偉大な哲学者であるソクラテスは、1冊の本も自分では著しませんでした。偉大な頭脳を持っていれば、文章化することなくしっかりとした思索を行えるのでしょう。

 しかし、平凡な頭脳しか持たない私は、日々の問題をせっせと文章化し、しっかりと考えていくしかありません。