6月7日(日)足利事件について(3)

 毎日新聞の検証記事をよく読めばわかるが、犯罪捜査も裁判もとてつもなく難しいものだ。それを踏まえ、ここで改めて自問してみたい。もし私が、この足利事件の関係者(捜査官、検察官、裁判官、弁護士など)だったら、今回の冤罪を防げただろうか。

 正直言って疑問だ。

 やはり問題を、裁判官が常識を知らないとか、検察官が無能だとか、捜査官が強引過ぎるというような個人レベルの話にしてはいけない。変えなければいけないのは、犯罪を追及するシステムだ。

 以前からメディアでは、取り調べの可視化が話題にされている。私も取り調べは全面的に可視化するべきだと思う。しかしそれだけでは片手落ちだ。可視化することによって冤罪は激減するだろうが、同時に検挙率が大幅に低下してしまうからだ。よく言われるのは、もし取り調べの可視化を認めるならば、同時に司法取引や電話の傍受、おとり捜査を認めるべきだということだ。私は司法取引には反対だが、電話の傍受やおとり捜査の導入は、厳密な基準を設けるのであれば問題ないと考えている。犯罪の検挙率が上がるのなら、その程度のことは容認できる。

 しかし、取り調べの可視化による検挙率の低下を防ぐためには、もう一歩踏み込んだ対策が必要と考えている。それは、真犯人だけを追い詰め、無実の容疑者を追い詰めないシステムの導入だ。

 そんなうまい話しがあるのかって?

 たとえばこんな方法はどうだろうか?

 まず、自ら罪を認め自白した犯人と、否認のまま裁判によって犯人と認定された者の刑罰に差をつける。自白した犯人は法律で定められた刑罰をそのまま受けるだけだが、否認のまま裁判によって犯人とされた者の刑罰には厳しいペナルティを加算する。自白なら懲役10年だが否認なら無期懲役とか、自白なら罰金100万だが否認なら5000万とかいう具合だ。

 そして警察には、取り調べ時に嘘八百を並べ立てることを許可する。実際にはいない目撃者の存在を匂わせたり、凶器にお前の指紋が1つだけついていたぞとか、現場に落ちていた毛髪のDNAとお前のDNAが一致したぞとか、無実の者を罪に陥れる恐れがなければ、犯人を精神的に追い詰め自白を強要することができるようにする。犯人は決められた期日までに自白すればペナルティを免れる。自白しなければ無実となる可能性もあるが、厳しいペナルティを科せられる可能性もある。犯人は果してこの精神的なプレッシャーに耐えられるだろうか。人間は正しい信念に基づいて行動している時は強い精神力を維持できるが、一度迷いが生じると意外ともろいものだ。私は大半の犯人は、耐え切れずに自白すると思う。

 ただし、警察を暴走させないための手だては必要だ。警察には、真犯人にプレッシャーを与える言動は許すが、長時間の取り調べや脅すような言動は許さない。無実の者にプレッシャーを与えかねない言動も許さない。それを監視するためには取り調べの完全可視化が必要だ。警察は、取り調べの完全可視化を認める代わりに、犯人を追い詰めるための新たな武器を手にすることができる。

 素人の考えなので不備はあるだろう。しかし、それほど検討はずれな考えというわけでもないと思う。
 いずれにしても足利事件によって、現状の犯罪捜査が万全ではないことは再認識された。その教訓がこれからどうやって生かされていくのか、しばらく注目していきたいと思う。

 人間は浅ましい生き物だ。経営者や政治家、官僚といった一般に社会的地位が高いと思われている人びとの中にさえ、自らが犯した罪を潔く認めようとせず、あらゆる手を使って罪を免れようとする者が大勢いる。
 それは自らの所業を深く反省し潔く罪を認めても、反省などせず罪を免れようと悪あがきしても、与えられる刑罰にほとんど変わりがないからだ。言ってもマイナスにならないなら「記憶にありません」とダメ元で言いたくなる気持ちはよくわかる。

 人の心の貧しさを引き出してしまう制度は、欠陥のある制度だということを肝に銘じておきたいものだ。