6月6日(土)足利事件について(1)

 足利事件の犯人として無期懲役の判決を受け、服役していた菅家(すがや)利和さん(62)が釈放された。DNAの再鑑定で女児の着衣に付いた体液と菅家さんのDNA型が一致しなかったことを受けての異例な処置だ。菅家さんは無実の罪で17年半もの年月を奪われたことになる(逮捕時は45歳だった)。しかも父親は、菅家さんの逮捕後ほどなく心労のために亡くなり、母親も息子の汚名が晴らされるのを見ることなく2年前に亡くなってしまったということだ。

 なぜ、こんなことになってしまったのか。菅家さんは捜査官に徹底的に絞り上げられたという。その上動かぬ証拠としてDNA鑑定の結果を示され、厳しく自白を強要された。そしていつ終わるともしれない取り調べが延々と続く。そのような状況下に置かれたとしたら、人間はいったいどうなるだろうか。おそらく私なら「すべてを白状すれば楽になるぞ」という悪魔の囁きにたちまち屈してしまうに違いない。
 その後正気を取り戻して、真実を追究するはずの裁判で無実を訴え続けるが、有罪という判決をどうしても覆えすことができない。自分は真実を言っているのに、裁判では検察や裁判官が作りあげたフィクションが真実とされてしまう。菅家さんの感じたいらだち、絶望感はいかばかりであっただろうか。

 インターネット上では、当時の捜査官のブログが炎上したという記事も見られる。この足利事件に携わった捜査官、検察官、裁判官等に非難が集まるのは当然のことではある。

 だがミスを犯した関係者を非難するだけでことを済ませてはいけない。より重要なのは、このような冤罪事件を二度と引き起こさないことだ。そのためには、冤罪が発生した原因の究明を徹底的に行うことが最重要課題である。

 普通に考えれば、何でこんな冤罪事件が発生してしまったのか、とても不思議に思える。関係者の中に常識ある(たとえば自分のような)者が少しでもいれば、このような事態は防げたはずだと感じる。
 だが、そのような考えこそがミスを呼ぶのだ。誰かがミスをした状況に自分が置かれれば、いつかは自分も同じミスをする。人間とはそういうものだ。ミスの原因を徹底的に洗い出し、完全に取り除いておかない限り、必ずミスは繰り返されるということを忘れてはいけない。